「脱構築 Déconstruction」

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昨日は、以前勤めていた会社の先輩と飲みに行き、大いに語り合ってきました!

話は自然と、この前会ったときに貸してもらった「東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス) (単行本)」と言う本について。

僕は哲学や文学を学んだ事がないので、正直言って理解できない単語や概念もいくつかあったのですが、それでも内容はとても楽しく読む事ができました。

一番気になったのが、「脱構築 Déconstruction」というキーワード。

単語の意味を調べても、

脱構築(だつこうちく、独: Abbau(アプバウ)、仏:déconstruction(デコンストリュクシオン)、英:deconstruction(ディコンストラクション/デコンストラクション))は、「静止的な構造を前提とし、それを想起的に発見しうる」というプラトン以来の哲学の伝統的ドグマに対して、「我々自身の哲学の営みそのものが、つねに古い構造を破壊し、新たな構造を生成している」とする、20世紀哲学の全体に及ぶ大きな潮流のこと。

19世紀まで、論理整合性を重視する英米哲学と、主観性や社会性を問題にする独仏哲学は、それぞれ独自に議論を重ねてきたが、この問題に至り、活発に相互参照と議論交流が起こる。

しかしながら、脱構築という思想においては、「脱構築という思想そのものもまた、つねに脱構築され、つねに新たな意味を獲得していく」ということを意味しており、それぞれの哲学者によって、またその発言の機会によって、主張の主眼が異なる。だが、この不定形さを受容することそのものが、脱構築である。

と解説されていて、正直良くわかりません。

それを早稲田大学西洋哲学専攻であるその先輩に尋ねてみたところ、ぼんやりとイメージをする事ができてきました。

僕の解釈は、
「脱構築という思想そのものもまた、つねに脱構築され、つねに新たな意味を獲得していく」
と言うのは、「創造と破壊」のサイクルの反復なのかなと感じました。

人の生活、人生に例えると、
「生まれることで、その人とその人が観る世界が構築され、死ぬ事で脱構築される。
起きることで、その人とその人が観る世界が構築され、寝ることで脱構築される。
目を開けることで、その人とその人が観る世界が構築され、目を閉じることで脱構築される。」

と置き換えることは可能なのでしょうか?
そう考えるとこの構築と脱構築の反復運動は、全ての物事に通じる原理原則だと感じています。

「全て」とか「絶対」とか言うな!とその先輩に良く面白おかしく突っ込まれましたが、
あらゆる事象を相対的、不確定的なものとする量子論的アプローチが息詰まっているのも事実。
(何が一貫性を生み出しているのか?)

批評家ではなく、行動者、起業家の僕は、ある仮説に基づいて行動し(構築)、振り返って検証し(再構築)、さらにまた行動を進めていく(構築)、その創造のプロセスを楽しむクリエイティブな人生を満喫していきたいと思っています。

スタンスのぜんぜん違う二人ですが、いつも会えば朝方まで大盛り上がり。
本当にありがたい繋がりであり、尊敬する先輩です。

また近いうちにとことん語り合いましょう!